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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2408号 判決 1975年12月09日

控訴人 有限会社大畑組

右代表者代表取締役 大畑忠

右訴訟代理人弁護士 江口保夫

同 斉藤勘造

同 松崎保元

同 佐々木鐵也

同 岩月史郎

被控訴人(溝口勝見承継人) 溝口フジエ

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 鈴木義俊

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求め、なお、当審における溝口勝見の死亡による承継により「控訴人は、被控訴人溝口フジエに対し、金五三七万二七七三円および内金四九〇万六〇九六円に対する昭和四四年二月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、その余の被控訴人らに対し、それぞれ金一三四万三一九三円および内金一二二万六五一六円に対する昭和四四年二月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、訴外畠山一雄が、昭和四四年二月一五日午後九時二五分頃大型貨物自動車(千一せ五六七五号、以下加害車という)を運転し、通称青梅街道を杉並区荻窪方面から新宿区柏木方面に向けて進行中、中野区中央一丁目一番一号先路上で、対向してきた亡溝口義人の運転する普通乗用自動車(練馬五ね七〇七〇号、以下被害車という)に正面衝突し、よって義人をして全身打撲、頭蓋骨骨折にもとづく脳挫傷により、その場で死亡させたことは当事者間に争いがない。

二、控訴人は、右事故は専ら被害車を運転していた義人の過失によって発生したものであり、かつ、加害車には構造上の欠陥または機能の障害がなかったから、本件事故の発生につき控訴人には責任がないと主張するので、この点を判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によれば、加害車は、当時、ブレーキその他機械の構造上、なんら欠陥がなかったことを認めることができる。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すれば、事故当夜は小雨であって、現場は、車道部分が巾員一七メートルのアスファルト道路であり、新宿方面(東)から荻窪方面(西)に向って、現場を中心に左に約一五度のゆるいカーブをなしており、現場から約一〇メートル西方から更に荻窪方面(西)に向って、約一〇〇分の三・五の上り勾配をなしている。また、この道路を現場から新宿方向(東)へ約二〇メートルのところに神田川があり、橋(淀橋)がかゝっている。新宿方面(東)から荻窪方面(西)へと自動車を進行させてゆくと、この淀橋を渡りはじめるあたりから、対向車線が巾員が廣くなり(約一〇メートル)、これに比して自車線は狭い(約七メートル)。そのうえ、前記のように左へのカーブが始まることとあいまって、進行車輛は、ともするとセンターラインに接近し、これをこえる可能性がみられる。しかも、センターラインは、いわゆるキャッツ・アイによって標示されていたので、本件事故時のような冬の雨の夜間にあっては、必ずしも明瞭には認識しがたい。かような状況の下で、本件両車輛は、小玉ガソリンスタンドの西角前の道路中央付近でお互の右前角部が衝突し、かみあったまま右回転しながら加害車が被害車を押戻したので、被害車は自車線(下り車線)の中央部で北向きになったところへ、更に新宿方面から下り車線を走って来た訴外近藤章の運転する普通乗用自動車(練五み一八九二号)の前部が被害車の右側中央部に軽く衝突し、このため被害車は若干西方に押動かされて横断歩道の東縁あたりに北向きのまゝ停止し、他方加害車は、車体の約三分の二が道路のセンターラインを越え進行方向とは逆の方向(西南西向き)に向き、被害車から約五メートル東北方に離れて停止した。衝突時の加害車の時速は、五〇キロメートル、その重量は約五六六〇キログラム(積荷はなかった)であり、被害車の重量は約九一五キログラムであった。両車輛の損傷をみると、加害車は、前バンバー右半分が著しく曲損後退し、右前フェンダーは凹損、右ヘッドライトは脱落、右フォグランプは損傷、ラジエーター・グリルおよび同枠は凹損曲折、前車輪は約四五度右切りの位置で右フェンダーと接触し自由がきかない状態となっていた。被害車は、前バンバー右端部が後方へ曲損し、前右フェンダーが原形を止めぬ程破損し、前右車輪は後方に移動してパンクし、車体右側面の前ドアーから後ドアーおよび右後フェンダーにかけて凹損が烈しく、前窓ガラス、右側前後ドアー・ガラスは破損脱落し、前車輪は僅かに左に切った状態になっていた。以上の事実が夫々認められる。

ところで≪証拠省略≫によると、加害車を運転していた畠山一雄は、彼我の距離が約二〇メートル位に接近して来たとき、被害車がセンターラインを越えて自分の進路に侵入して来たため自車線(上り車線)内で衝突してしまったというのである。

前認定の事実関係の下で≪証拠省略≫を検討すると、双方の車輛の損傷状況から推して、衝突時には双方の車の前後の中心線は約三五度の角度を作って夫々の右前角辺りが衝突し、その部分がかみ合って被害車を押戻しつつ右転回をしたこと、双方の車の速力、重量、衝突後の停止位置、加害車の前輪が右四五度に切ったまま自由の利かない状態であったこと、被害車が少し左ハンドルであったことなどから推して、衝突地点はセンターライン上であること、加害車の車体の前後の中心線と道路センターラインとは右に約五度の角度を作り、従って被害車のそれと道路センターラインとは約三〇度の角度で衝突したことが推断される。してみると被害車は加害車の車線(上り車線)内から自己の車線(下り車線)に戻ろうとした時に衝突したものと推断せざるを得ず、畠山一雄の前記供述は真実に近いものと判断される。

かかる観点から≪証拠省略≫を総合すると、加害車は当時荻窪方面から新宿方面に向け、上り車線を時速約五〇キロメーターで進行して来たところ、前方一〇〇メートル付近の反対車線(下り車線)を進行、接近してくる被害車を見かけたが別段気にもかけず、約四~五〇〇米先きで右折する予定だったので、センターラインから五〇センチないし一〇〇センチ内側を進行し、彼我の距離が約二〇メートルに接近したとき、被害車がセンターラインを越えて自己の進路に進入して来たので、驚いて軽くブレーキを踏み、右に避けようとしたが及ばず、前記の通り衝突したこと、一方被害車は時速約五〇キロメートルで西進して来たが、神田川上の淀橋あたりから反対車線が広くなり、かつ道路が左に曲っているため、思わずセンターラインを越えて反対車線に相当深く入ってしまったと察しられるところ、折柄対向して接近して来る加害車をみて左にハンドルを切ってこれを避けようとしたが、間に合わなかったこと、当時小雨が降っていたためアスファルト舗装の道路上で急制動をかけると車が大きくスリップしたり、横すべりしたりする危険のあったことが夫々認められる。≪証拠判断省略≫

してみると、反対車線を走っている車がセンターラインを越えて自車線内に進入してくるようなことは、自動車運転者として予期しないところであり、しかも二〇メートルの距離を対向車が夫々時速五〇キロメーターで進行すれば〇・七秒で両車輛は接することになるので、その間に、センターラインを越えて自車に向って突込んでくる被害車の進路を見定め、左右いずれにハンドルを切るべきかを適確に判断することは極めて困難であるし、また前認定の通り急制動が危険と認められる状況において畠山一雄が前記の措置をとったが衝突してしまったことを捉えて、同人に過失があると認めることはできないというほかはない。

以上の事実からすれば、本件衝突事故は、もっぱら被害車を運転していた亡溝口義人がセンターラインを超えて対向車線に進入したという過失に基づくものであり、加害車の運転者である畠山一雄には、事故の発生につきなんら過失があるとは認められない。

三、以上に認定のとおり、控訴人の抗弁は理由があるので、被控訴人らの本訴請求は、その余の判断をまつことなく、失当である(なお、従前の被控訴人であった溝口勝見が昭和四九年二月一〇日死亡し、現在の被控訴人ら三名が相続により勝見の権利義務を三分の一宛承継したことは記録上明らかである)。よって、被控訴人らの請求はこれを棄却すべきところ、原判決はこれと異なるので取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 小木曾競 深田源次)

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